2.20.2011

理解することを拒絶する程の恐怖とは



恐怖の克服。
見ないから怖い。分からないから怖い。
向き合うことで恐怖の原因を知り、「何故恐怖を感じるか」を分析することで恐怖を理解することが出来ると考えていた。



最近トラウマに関して知人と話をした。彼は幼少期にバリに家族旅行に行き、そこで体験したもの、光景が今でも鮮明に思い出せるという。その原体験を今に思い起こすこと、その時の強烈な記憶へとトリップするための手段として彼は音楽という手法を用いているという。

その話を聞きながら私は、幼少期、それも1人で歩くのもおぼつかない程の頃に行ったスペインの事を思い出さされた。その頃の話は後から親から聞いたもので自分自身の記憶というものは殆どないのだが、ただひとつ、記憶の深いところにあった風景がこの会話を呼び水にして意識の表層へと、突如浮かび上がって来た。

その記憶というのはスペインに滞在していたちょうどその頃、バレンシアで開催されていた「火祭り」の光景だった(勿論どこでどんな祭りであったかは後日親から聞かされたものである)。


— 火祭り(Las Fallas)—
スペインのバレンシアで毎年3月に開催される祭・行事。19日の聖ヨセフの日に張りぼての人形を燃やし爆竹を使い、春の訪れを祝う。
(Wikipediaより引用)


断片的に浮かび上がる光景。そこには遥か上にそびえた細密な装飾が施された人形群。彼等は顔に無感情な“嗤い”を貼付けて私から視界を奪う様に体を揺らせ、街を闊歩する…。潜在意識の向こう側へとそっとしまわれていた、写真の様に固定化されたその絵が鮮明に目の前に現れた時、私はようやく自分の「恐怖」というものの原因の一端をかいま見た様に思えた。

巨像に対する恐怖、それも人の形を模したものや緻密な装飾が施されているものであればある程、私の動悸は激しくなり、その対象を直視出来ず、手のひらに汗を滲ませていた。


ここに私がこのような文章を載せたのも、恐怖というものを言語化し自らの中で消化することでそれに対して向き合い克服することが出来るのではないかと考えたからである。わかることでそれはむしろ強力なエネルギーをもったモチーフとして、特に創作活動においては個人のアイデンティティという武器になり得るのではないだろうか。




しかし、である。
人にはそれでも理解することを身体が徹底的に拒絶している恐怖がある。
私にとってそれはトラウマという次元を超えた、なんというか「触れてはいけない存在」として身体・精神に入念に、執拗に刷り込まれている。
はじめてそれと対峙したときの「おそれ」は、自分という存在を全て剥ぎ取られ、剥き出しにされた「己」というものに容赦なく、徹底的に傷をつけていった。
それは認識を許されない恐怖として今も影をちらつかせ、過去に一度またそれをみてしまった時には拒否反応により嘔吐してしまった程のものである。
もはや「一対一」ではなく「一対概念」としか形容しようがない、全てが呑み込まれる様な圧倒的な感情の支配を私はその時味わってしまったのである。



ただ一枚の絵が何故にそこまで私をこわがらせるのだろうか…


 

0 件のコメント:

コメントを投稿